拝啓 高山市の幸子様。
 もう、お孫さんに囲まれて幸せな老後を迎えた頃でしょう。
50年前2年間暮らした高山で僕の人生を豊かなものにしてくれた大切な人。高山自動車学校で知り合い、初心者マークで初めてのドライブは富山。護国神社前の柳の街路樹の通りは忘れません。夏は美女高原、一宮の吊り橋。冬の天満神社と村山農村公園。城山公園の恐怖の職務質問。和合橋まで話しながら歩いた冬の路地。(お父さんと)二人で行った横丁の風呂屋。僕の就職活動のため一緒にスーツを買いに行きましたね。その時お祝いに頂いたネクタイは今も残っています。就職活動を始めた頃、父親から三男坊でありながら家の跡継ぎを命ぜられた私。
 女性との交際初心者だった僕は、遠距離になっても自分に「彼女」がいるだけで舞い上がっていました。あなたの気持ちを解ろうともせず。一度私の家に「ご両親にご挨拶を」とはるばる訪ねてきてくれたのに、両親は出前の寿司をとり、別室で二人だけで食べましたね。冷たい両親と思われたことでしょう。名古屋周辺の街での暮らしを望んでいたあなたは、あまりの田舎にガッカリしたでしょうね。
 先日、あの頃の写真を持って白川村を訪ねてみました。あの合掌家屋があの日のままに残っていました。あの日の写真の中のあなたの表情が暗いのは別れを考えていたからでしょうか。すでにご両親共亡くなり、神明町の家には誰もいないと聞きました。
 僕は意外にもすぐ近所にいた最高のパートナーとめぐりあい、毎日飽きずに楽しく暮らしています。愛知県の海辺で暮らす僕とは偶然にも会うことはないでしょうね。すれ違ったとしてもお互い変わり果てた姿に気づかないでしょう。
 50年が過ぎ高齢者となりました。もし叶うなら、元気なうちに一度昔話ができたらと思っています同級生と話すように。 
 あなたと御家族が幸せであるようエールを送っています。
                                      敬具


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