ゆうじさん思い出の曲はスターティングオーバー。あの頃未熟な私は口下手で感情をぶつける事もせずに勝手に愛されていないと思い込んでいました。最後におばあさんが電話をくれましたが裏切った私は戻れる資格もなかった。あれから頑張って働きましたが色々あって大阪を離れ今はお母ちゃんと弟と遠いところにいます。ゆうじさんの性格からこの書き込みを見るような人ではないとわかりながらも書く事にしました。ゆうじさんと暮らした数年間は私の最大の幸福期でした。不器用な私は誰ともうまくいかず一生独り身です。すごいバチが当たりましたよ。ボロカス言われて謝る事ができていればこんなに悩まなないのかも。ゆうじさんの実家の離に住まわせてもらっていたとき時々作ってくれたポン酢雑炊30年以上ぶりに自分で作って食べました。涙がこぼれて味わからんかった。写真嫌いな私がたった1枚今も持っているのはゆうじさんが大阪城公園で撮ってくれたユウノスケとの写真です。最後に東大阪小阪本町に住んでいた石津ゆうじさん幸せである事願っています。年老いて来たので知って欲しかった。ゆうじさんにブタと呼ばれていた女はバチが当たった。心の中でアホンダラボケカスブタと言って笑ってください。あれから自分をわしと言ってるひろこより


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