その昔、心のやさしい少年が秘かに深く情をかけ、首輪を外して置き去ったあの泣き虫の犬ころは、流れ流れていつしか誰かに拾われて、不自由もせずに暮らしております。今はただ、心が決めたご主人様へ、思いを馳せては懐かしく慕うばかりとなりました。 
 今年もがんばって生きたのでどうか私を褒めて下さい。あなたに褒められでもしたら、私のすべては救われます。何もかも溶けてしまって、辛いことも、痛いところもありません。どんな人もいい人です。そして一生、お馬鹿さんでも構いません。可愛いでしょう? こうして私の魂は生涯、囚われの身となったのです。
 あなたがくれなくても、私が二人分持っていました。
 今、私たちは十六歳になったところ。あなたは壊れそうな少年だった。

 こっちへいらっしゃい。ちょうど半分、あなたにも分けてあげましょうね。これで心は釣り合います。暖かくなったでしょう? 今この時もあなたをお慕いしています。その輝かしい人生において、勇ましく、時に愚かなあなたを無垢な心で、限りなく無条件に愛したのが私です。二人はほんの子どもだったから。あなたはいつでも心の中にいてくれたけど、私を失ったあなたの方が寂しかったでしょうね。これは皮肉ではなく、負け惜しみでもなく、歳を重ねた今だからこそ、そう思うのです。独りにしてごめんなさいね。だからどうか少しだけ、ここにいて下さい。
 さあ、記憶を頼りに掘りごたつを用意しましたよ。気を付けて、あなたの足裏にも画びょうが刺さるかも? まさかきれい好きなあなたのお家に、画びょうなんか落ちているわけないのです。心配してくれるやさしい顔が見たくて嘘をつきました。ごめんなさい、何十年も経ってから白状します。もし覚えていたら許してね。あなたはテーブルにカップを二つ、並べて下さいな。おしゃれな角砂糖までそっくりでしょ? 夢みたい! なんて素敵なおもてなし。冬のある日、残された時間がもう僅かだとは知らない私を、あなたはお部屋と心を暖めて待っていてくれました。
 さあさあ、お待ちかねのおしゃべりの時間です。今夜はおそらく誰も覚えていない、楽しかった思い出話をしましょうか。あの時は向かい合って座ったけれど、もう少し、、そばに寄ってもいいですか?
 この世でみきちゃんが怖れるものは、二つあります。一つは地震です。カミナリは平気なのに。言っておきますが、カミナリが鳴っている時は、骨だけの傘を高く持ち上げて中庭に出てはいけませんよ。そんなことで勇気を試しちゃダメダメ! 男子はしょっちゅう馬鹿なことを思い付くのでほんと、困ります。それより地震は確かに怖いわね。そちらはよく揺れますか? 地震があった翌日は、どこにいてどれだけ怖かったか、それこそコワい顔をして一生懸命訴えていましたね。こればかりは私のせいではないのですよ、お気の毒に。もっとも、帰りの通勤電車で雨傘を忘れるぐらいのアンラッキーは、ちょっとした私のいたずらですけどね。居眠りしていたその時も、そこに私がいたことを、あなたは感じていましたか?
 そしてもう一つは、なんと幽霊でーす。男の子なのにちょっとかわいい。年末にクリスマス会があったよね。その時電気を消してみんなでお化けの話をしたでしょう? まあ、ちょっと季節はずれだったかしらね。学校の地下室にある呪いの鏡! 怖すぎです。でも後で考えたら、あの学校には地下室なんてありませんでしたけど? あなたの心と同様にこちらも今となっては永遠の謎です。で、いよいよって時、けんちゃんがラジカセのボリュームをいきなり上げたのを覚えていますか? もうびっくりしたよねえ、心臓が止まるかと思った。実はあの時、真っ先に立ち上がって逃げたのはあなただったのよう。いつもは強くてさ、背が高くって、大人っぽくて、お勉強もスポーツも音楽までできて、ポリスが好きで、難しい本も読んでたりして、文章を書かせたらそれこそ右に出る者はいなくって、それからそれからなぜか少し意地悪で、ケチで繊細できれい好きで、ちょっと雪が降ったぐらいでスノトレなんか履いて来たりして、わりと誰にでも親切なのに自分の写真うつりが悪いのを私のせいにして、あ、もちろん男前で美人に弱くてほんとに弱くて嘘つきでロクデナシで意地っ張りでどうしようもなくて、だけど温かくて誰よりやさしいみきちゃんが、なぜ?! せっかくとなりに座ってたのに、ちっとも守ってくれなかったわね。ちょっと減点しておきます(笑)。私はお化けはそこまで怖くはないけれど、ドサクサに紛れてあなたに抱き付いておけばよかったわ(爆)!
 それと、初詣は行けなくてごめんなさいね。せっかく誘ってくれたのに。着て行く服まで決めていたのよ。でもねお父さんが、夜中は出てはいけないと言ったから。とてもとても残念でした。もう少し大きくなったら私も行かせてもらえると思って我慢したの。だけど、次の年はクリスマス会も初詣も、もうなかった。その次も、またその次も、じゅうぶん大人になったのに永遠に行けなかった。もうないとわかっていたら、もう会えないとわかっていたら、二階から飛び降りてでもあなたについて行ったのに。夜中でも、たとえその先がずっと真っ暗でも、あなたさえいてくれたら怖くない。途中で幽霊に出会ったとしても、私が必ず守ってあげるから、あなたのとなりを歩きたかったの。でもね、そのお父さんも、あなたがいなくなってから二年後に自ら逝ってしまったのよ。私の好きな人がレコードをたくさん持っていると言ったら、「お前も買いなさい」ってお小遣いをくれた。あの頃流行っていたウォークマンも、お父さんが黄色いのを買って持たせてくれたのよ。あなたにも見せてあげたでしょう? 私の恋を応援してくれていたのね。とても厳しかったけれど、今思うとやさしい人だった。
 人の未来なんてどうなるかわからない。今日あった幸せが明日もあるとは限らない。特にこんな世の中では、生きていることさえ不思議なくらいね。だから、大事な人にはこの瞬間も幸せでいてほしい。現実を受け入れることは辛くても、この願いにだけは勝てやしない。淋しくなって、あなたがほしくてほしくて伸ばしたこの手がどちらか一つを選ぶとしたら、あなたが望む方にする。いつだってそうするしかなかったし、結局、私は永遠にあなたのものだから、どうせ同じことよ。
 無力な私たちはもう、いつどうなるかわからない。いよいよこっちもかなり危ない。家族さえ守り切れるか自信がない。記憶を失うとも聞いてとても怖いの。心の中に住むあなたまでいなくなったらどうしよう。正直言って最初から、この世であなたと再会できるとは思ってない。だからこの先どんなことが起こっても、必ず、必ず思い出して。邪険にしないで、私は最後の最後まであなたの味方です。まもなくあなたにも人生最大の試練が押し寄せる。もしも道を見失ったとしても、あなたの肩に乗っかればもっと先を見通せる。あなたのために這いつくばっても自慢の鼻ならきっと出口を嗅ぎつける。私がこっそり教えてあげるから諦めるんじゃない。こんなにも愛しています。だから死んではいけない。何があっても生きなさい。

 本当言うとね、今日はそのクリスマス会をした日なのですよ。確か、その年のカレンダーでは金曜日だった気がします。奇しくも同じ時代に生まれ合わせ、愛する人がすぐそばにいてくれた夢のような日々は、もう何年前のことだったのでしょう。あまりにも鮮明で、まるで昨日のように思えます。不思議なものね。楽しかった思い出なのに、ずっと昔のことなのに、一行ごとに涙がぽろぽろこぼれ落ちます。あの時のクラスメイトはお元気かしら。
 あ、そうそう、幽霊は今のうちに克服しておいてね。絶対に絶対に、会いに行くんだから逃げないでよ。今度こそ、冷たーい腕で抱き付いてあげるから(慕)(忠)(傍)・(劫)・・

 ほらね、愛しくて、恋しくてたまらない
あなたの悲鳴が聞こえる気がする

 じゃあね、もう帰ってもいいよ
よいお年を。風邪ひかないで

    少女のような愛をこめて
                
   2020 12/26 あなたのそばに










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